実家には壁掛け時計が10台ある。
各部屋に1台と、玄関、階段、ベランダ、庭、「我が家を歩けば時計に当たる」と言えるぐらい、やたら時計がある。しかもそのどれもが正確な時間を指しておらず、少しづつずれているから、正確な時間は誰もが携帯電話で確認している。
そんな無駄だと思われる時計達も、あの日は英雄のように活躍してくれたらしい
東北地方を襲ったマグニチュード9の地震により、実家は電気が寸断された。
私と同じアラフォーの木造住宅は揺れに揺れたらしいが、なんとか崩れずに済んだ
情報が得られない両親は、建物の外で近所の人たちと途方に暮れていた。
ラジオを聴こうにも電源がないし、電池もない。
その時、めずらしく父が閃いた!
電池ならある! 家の時計から電池を集めればいいんだべ!! 今、時計は必要ねえべ!!
(普段も必要なさそうだけど笑)
そして、壁掛け時計から単3電池を集めラジオを聴き、初めて沿岸地方を津波が襲ったことを知ったらしい。
しかし、その津波の規模はラジオからは伝わらず、復旧後、TVの報道を見て驚愕した。
その映像も、私が目にした生々しい映像はしばらく流れず、のちのちに流れてきたらしい。放送の配慮がされたのでしょうか
時計から集めた電池は懐中電灯にも使われ、父は、我が家に無駄なものは一つもない、この日のために時計が山ほどあったのだ、と納得した。
「あの日はすんごく寒かった」と今でも母が言う。
電気が止まり暖房器具が使えない中、幸いにも捨てずに残しておいたボロボロの石油ストーブで暖をとることができた。
この地震以降、石油ストーブが飛ぶように売れたらしく、実家のストーブも新品に代わっていた。
この時代、電気が寸断されると使えないものが山ほどある。電話もそのひとつで、多機能型電話機は電源を必要とするため、停電すると使えない。携帯電話も災害時は制限で繋がらないしバッテリーが切れたら使えない。
そんな通信手段が途切れる中、実家の2台ある固定電話の1台が鳴った。
それは、NTTのアナログ回線に繋いだ、電源を必要としない電話機だった。その電話回線が使えると知った両親は、近所の人たちに電話を開放した。
そんな体験から両親は、このアナログ回線だけはフレッツ光に移行したくないらしい。
社会科の先生が話したことを思い出した。
電話が発明される前は、津波が来ることを次の到達地点に伝えることができなかった。
電話がある今は、「こっちに津波がきたからそっちには10分後に行くぞ、逃げろ!と伝えることができるんだよ」と言っていた。
しかし、そんな電話も進化し過ぎてしまった今は、皮肉なことに、本当に必要なときに何の役にも立たないものになってしまった
文明は諸刃の剣
う~ん、我ながら言い得て妙(笑
母があるお話をしてくれた
母が通う美容室には、津波の被害を受けた沿岸出身の美容師さんがいる。
その美容師さんが帰省したときに地元のタクシーの運転手から聞いたお話らしい。
津波の被害を受けたある場所で
年配の男性が手をあげてタクシーを止めるそうな
タクシーにその男性を乗せ目的地へ着くと、そこには1軒のお宅がある。
そのお宅から年配の女性が出てきては、後部座席の男性に向かって声をかける。
「あら、お父さん、また帰ってきたの! まあ、お帰りなさい」
タクシーの運転手が後部座席を見ると、そこに男性の姿はない
年配の女性は運転手に
「御苦労さまです。ありがとうございます」
と言って、タクシー代を運転手に払うそうだ。
「また」ということは、その男性は何度も帰ってくるのだろう
母が言った
「そういう話がね、いっぱいあるのよ。地元の人はみんなわかってるの。その運転手さんもね、わかってて送るの、そして、家に帰すことができてよかったって思ってるのよ」
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陸前高田の一本松と父 2011年9月 |
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