岩手県西磐井郡平泉町平泉(いわてけんにしいわいぐんひらいずみちょうひらいずみ)に、国指定史跡である達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)がある。
坂上田村麿大将軍東征(さかのうえたむらまろだいしょうぐんとうせい)の霊跡である達谷窟に関する最古の記録「吾妻鏡(あづまかがみ)」によると
「毘沙門天ノ化身來タリテ我國ヲ護ル(びしゃもんのけしんキタリテわがくにヲまもル」
と記され、大将軍の本地を毘沙門天と見なす「田村信仰」の発祥地として、国の史跡に指定されている。
延暦廿年(801年)、この達谷窟(たっこくのいわや)に蝦夷の頭(えぞのかしら)、悪路王(あくろおう)や、赤頭高丸(あかがしらたかまる)が城を造り、人さらいや盗みを働いていた。
ある時、悪路王は京の葉室中納言様の娘、ゆり姫様を誘拐し、窟(いわや)の奥に閉じ込めた。桓武の帝は、坂上田村麿公(さかのうえたむらまろこう)に、蝦夷征伐(えぞせいばつ)を命じたが、蝦夷の力は強く、田村麿公は苦戦を強いられた。
苦戦する田村麿公を、戦の神様である毘沙門天様が天から降りてきて味方をした。
毘沙門天様のおかげで田村麿公は悪路王を征伐し、ゆり姫様はじめ多くの人々を救い出すことができた。坂上田村麿公は、戦に勝ったお礼に悪路王らの住んでいた窟にお堂を建て、108体の毘沙門様を祀り、窟毘沙門堂(いわやびじゃもんどう)と名付けた。
これが、達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)のはじまりとされる。
達谷窟(たっこくのいわや)は、県道31号線沿いに現れた。
20台も入れば一杯になる駐車場にレンタカーを停め、辺りを見渡すと駐車しているのは3台だけ!
ほぼ貸切りの状態で達谷窟毘沙門堂を見学することができた。
***毘沙門堂へのお参りのしかた(パンフレットより抜粋)***
毘沙門様は寅年守本尊(とらどしまもりほんぞん)。悪鬼を下し福を招く、財宝・官位・智恵・寿命の他に縁結・子宝・学業成就。また軍神の故、勝負事等の必勝祈願、諸々の願が叶うと云われる。
昔より絵馬を奉納するとよいとされる。柏手を打って祈るもよし。合掌して「ヲンベイシラマナヤソハカ」と御真言を唱えるもよし。
岩壁にめり込むように建てられた御堂は、京都の清水寺の舞台を模して造られたとされ、
御堂の中は、天井の一部と奥の壁が岩壁になっていた。
正面には数体の毘沙門様が祀られており、賽銭箱の横には絵馬が置いてあった。
ここの絵馬は200円。
え?絵馬の相場って500円じゃないの??
もちろんコストパフォーマンスの高い絵馬を買い、都合のいい願い事を書く
「私好みの素敵な男性と結婚させてください」
書き終えたところでSちゃんが突っ込みを入れた
「プチケイトちゃん、書く前にお金払わな」
しまったぁ! 毘沙門様の御前で、私利私欲に走ってしまったぁ!
あわてて奉納箱に200円を納め、絵馬を掛けているとSちゃんが叫んだ
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お堂に入る光 |
「プチケイトちゃん! ココのおみくじ、20円やで!!」
振り向くとSちゃんはすでにおみくじを開きボヤいていた
「嘘やん、中吉やん」
私もさっそく20円を納めおみくじを引くと、なんと大吉!!!
「ひぃい~ だ、だ、大吉く~~ん!」
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岩面大佛 |
Sちゃんは、本尊に向かって 「ありがとうございます!」 を連呼する私を見て
「アカン!プチケイトちゃん!ココは騒ぐ場所ちゃうで!」と言って本堂の外へ連れ出してくれた。
岩壁には仏像の顔が彫られており、「岩面大佛」と呼ばれ崇められている。
諸説によると、源義家が馬上より壁面に矢を射り仏像を彫ったとされるが、信じるか信じないかは、あなた次第
それにしても、真冬の達谷窟は寒い!
足の先が冷たくなってきたので車に戻り次の目的地へ向かいながら、助手席のSちゃんに私の大吉のおみくじを読み上げてもらった
「願いごとは、金銭のことをはじめ、すべてに望みのままとなります」
笑いが止まらない私にSちゃんが
「続きがあるで、、、油断しないことです、、やて」
おみくじって、オチがあるんですよね。。。戒めのようなオチが。
去年のおみくじも、「ただし、酒と色におぼれるな」と戒めの言葉があったけど、ケイトに惚れた私はどっぷりと色に溺れた
Sちゃんが続けた
「縁談は、うまく早くまとまります。安心できます。」
あまりの衝撃に歓喜の声が馬の雄叫びになってしまいました
「ヒヒィィイ~~ン!!!」
達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわや)のおみくじって素晴らしい!!
あ~ どうか
私好みの素敵な男性と結婚させてください、よろしくお願いします。
合掌
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